2.5次元って言葉考えた人は天才5-最終回-

あの記憶に残る千秋楽講演から1週間が経ちました。

その間アンソロジーを買ったり、アニメイトのWebサイトを眺めながら「この後もアニメのグッズ出るんだ~」など自分なりにリコリコ成分を補充していました。

 

ここまで4本ほど上げてきた感想記事ですが、1月22日をもって予定されていたディレイ配信も配信終了ということでそれと合わせて感想記事も最終回にしたほうが区切りがよいのではないかと思いましたので本記事をもってラストにいたします。

 

最終回は「何故、私がこの舞台を観劇して泣いたのか」について書きたいと思います。

 

思えばこのブログを開設した理由の1つに、言葉による感情や感想の表現練習のために開いた部分がありますので、やっとその1歩を踏み出すことができそうです。

 

このテーマについては舞台を観終わり、必ず最終回にこのテーマを持ってこようと思った時から泣いた理由について考えてきました。

 

普段から作品を通して泣くことが少ない私ですが、年を取ってから涙腺が緩くなってきたなぁと思うことはあります。特に映画を観てるときにそう思うことが多いのですが、その時の感情と今回の感情は別物に感じるんですよね。

 

映画を観てるときは単純にストーリーやアツい展開に感銘を受けて泣くことが多いのですが、今作リコリスリコイルに限ってはアニメで予習しているのでストーリーや展開については履修みです。

 

では今回なぜストーリーも展開も知っている作品で泣けたのか。

 

それは「アニメの世界に入ることができたから」だと思っています。

 

おそらくこれは憧れの有名人に生であって感激したときに出る涙と同じようなものではないかと感じています。

私はそういった場面に遭遇したことはありませんが、思うに「テレビの画面でしか見たことないあの人が今目の前にいる」というある種の想定外の事態に驚き、感激して出る涙がそれだと私は考えます。

 

今作では舞台という限られた空間ではあるものの、そのすべてを活かすようにリコリコワールドが繰り広げられます。

アニメでは画面に映る部分でしかその世界を観測することはできませんが、舞台は自分がいる空間すべてがその作品に染まり、浸ることができるというオタクにとっては贅沢すぎる体験ができます。

 

つまり

「テレビの画面でしか見たことないあの人が今目の前にいる」という状況と同じく

「テレビの画面でしか見ることができなかった世界(人)に今自分が入っている(目の前にいる)」

という状況があの空間で出来上がっているわけです。

 

これが私の感情を揺れ動かし、大好きな「ALIVE」と「花の塔」がさらに後押しし感涙を流したプロセスといえるでしょう。

 

こんな体験ができる舞台、作品に出合えたことは私にとって大きく貴重な機会であったことに間違いありません。

このリコリスリコイルという作品全てに感謝です。

 

 

これにて私の感想記事は終わりとさせていただきます。

じゃあどういったところがその空間を作り上げていたのかについては、私がこれまで書いてきた記事を読んでいただければ解るかと思います。

役者さんが演じるキャラクターたち、演出や音楽等細かいところ全てからリコリコの世界観や空気を再現させようとする作品に対する愛を私なりに今までの記事で解説したつもりです。

 

最後にこんな1オタクの感想記事をネットの海からわざわざ見つけた上に読んでくださった皆様に、

そして繰り返しになりますがリコリスリコイルという作品に携わった皆様に感謝いたします。

 

またアニメでも舞台でもリコリコの続きを観ることができたら感想をぶちまけたいと思います。

続編を観るその日まで。

 

それでは。